がっこうぐらし!第7話
2015年8月21日 2015年夏アニメ
正直、6と7は
この作品中では「ダミー」となる位置づけの小話の側が強く
手がかりの側は逆に薄いので読解しようがない。
さいごにみーくんが口走った詩の意味は
ガチ勢に任せよう。
この回で注目するべきは、
「朝起きたらこれが全て夢であったら」
「犬と人では見え方が違う=ゆきと太郎丸は同じ見方なのかも」
という語り。
そもそもこの作中に描かれている全ての光景は、誰の視点から見えてるのだろうか。
そこは未だに謎のまま。
ゾンビがゾンビであるように見えているのは誰なのだろうか。
ゆきがめぐ姉の襲撃以降、ゾンビ(に見えるもの)に対して激しいトラウマがあるのは
すでに作中で描かれているのだが、
ゾンビを相手にしない太郎丸と同じ見え方に括られる意味とは何なのだろうか。
ゾンビなんてそもそも居なくて、ゆきと太郎丸だけは正常に世界を視覚できている?
そもそもゆきにゾンビが視認できているシーンってあったかな。
図書室でゾンビ1匹をやりすごしたとき、
ショッピングモールでシアターからゾンビの大群が来たとき、
ゆきは本当にゾンビにおびえていたのだろうか?
これまでの描写を直球で解すると
ゆきは現実を都合よく視認できる幻覚術を持っているので、
今視聴者に見えてるとおりの世界が現実だとしても、セリフの意味は通るのだけど…
「狂った見え方」と「実際」の違いというのは
この作品の大きいテーマの1つなので深読みしてしまう。
それから以前「あの逃し方では屋上が使える状態では残らない」と指摘したけど
めぐ姉がドア越しにゾンビに襲われた現場は
屋上のドアではなさそうだった。
屋上に墓があったことから、あそこですぐに襲われたように思っていたが
少し一緒に立て篭もる期間があったことになるのかな。
この回で出てきたカギは
3話でめぐ姉がいた部屋(職員室か、その後の個室っぽい部屋)のカギか。
使うと、生前に残してくれたものを見つけられるか、
とんでもないトラウマを掘り起こしてしまうかどちらか。
エンディングは、
初代のほうは「最後ゆきがだれもいない空間に笑いかけている」ところが不気味だったが…
意味があるエンディングだと思っていただけに
なんと7話にしてエンディングが変わるとは驚いた。
今回は椅子に横たわって寝てる4人が、全員消えるようになっている。
シャベルとリードと包丁が残っている。(包丁!?)
結局、なにが「実在しないもの」なのかはこれで一層わからなくなったと思う。
まさか太郎丸までもが実在しないとは思えないのだが…
初代エンディングでも
死亡(ゾンビ化)が確定してから、めぐ姉がフェードアウトする演出がとられたが
このエンディングも、
4人全員消えるカットは後から変化が見られるかもね。
俺は6話までの時点では
3人が実在していて、ゆきが幻覚。ゾンビ化しているのは現実。
という説が有力と思っていたけど、少し揺らいだような気がする。
この回を見ていて思ったのは
全員実在していて、3人が狂っている。ゆきは介護者になる目的で道化を演じている。
ゾンビ化しているのは幻想で全く違う世界が現実。
これもあり得るかなってこと。
さすがに4人のうちだれかがすでにゾンビっていうのはないよな。
設定破綻しすぎている。
全員ゾンビというのはありえなくはないが、これだと制服の色が違う意味を失う。
やはり3人とゆきは決定的に何かが違わないとおかしいのだ。
この回はあまり手がかりがなかったので、面白くはなかった。
ゆきは額面どおりの池沼じゃないことは薄々気づかれてきたんだろうけど、
それを察したとしてもこのキャラは少しかったるいのは変わらないねw
ガッチャマンを考察のために2周見ないのと同じように、
このアニメも抵抗があるというか、受け止めきれない部分が多いな。
これがまだ続くようなら
もうどうでもいいから誰か早くネタバレしてくれよ、と思ってしまう。
そろそろゾワっとする場面が欲しいところだ。
この作品中では「ダミー」となる位置づけの小話の側が強く
手がかりの側は逆に薄いので読解しようがない。
さいごにみーくんが口走った詩の意味は
ガチ勢に任せよう。
この回で注目するべきは、
「朝起きたらこれが全て夢であったら」
「犬と人では見え方が違う=ゆきと太郎丸は同じ見方なのかも」
という語り。
そもそもこの作中に描かれている全ての光景は、誰の視点から見えてるのだろうか。
そこは未だに謎のまま。
ゾンビがゾンビであるように見えているのは誰なのだろうか。
ゆきがめぐ姉の襲撃以降、ゾンビ(に見えるもの)に対して激しいトラウマがあるのは
すでに作中で描かれているのだが、
ゾンビを相手にしない太郎丸と同じ見え方に括られる意味とは何なのだろうか。
ゾンビなんてそもそも居なくて、ゆきと太郎丸だけは正常に世界を視覚できている?
そもそもゆきにゾンビが視認できているシーンってあったかな。
図書室でゾンビ1匹をやりすごしたとき、
ショッピングモールでシアターからゾンビの大群が来たとき、
ゆきは本当にゾンビにおびえていたのだろうか?
これまでの描写を直球で解すると
ゆきは現実を都合よく視認できる幻覚術を持っているので、
今視聴者に見えてるとおりの世界が現実だとしても、セリフの意味は通るのだけど…
「狂った見え方」と「実際」の違いというのは
この作品の大きいテーマの1つなので深読みしてしまう。
それから以前「あの逃し方では屋上が使える状態では残らない」と指摘したけど
めぐ姉がドア越しにゾンビに襲われた現場は
屋上のドアではなさそうだった。
屋上に墓があったことから、あそこですぐに襲われたように思っていたが
少し一緒に立て篭もる期間があったことになるのかな。
この回で出てきたカギは
3話でめぐ姉がいた部屋(職員室か、その後の個室っぽい部屋)のカギか。
使うと、生前に残してくれたものを見つけられるか、
とんでもないトラウマを掘り起こしてしまうかどちらか。
エンディングは、
初代のほうは「最後ゆきがだれもいない空間に笑いかけている」ところが不気味だったが…
意味があるエンディングだと思っていただけに
なんと7話にしてエンディングが変わるとは驚いた。
今回は椅子に横たわって寝てる4人が、全員消えるようになっている。
シャベルとリードと包丁が残っている。(包丁!?)
結局、なにが「実在しないもの」なのかはこれで一層わからなくなったと思う。
まさか太郎丸までもが実在しないとは思えないのだが…
初代エンディングでも
死亡(ゾンビ化)が確定してから、めぐ姉がフェードアウトする演出がとられたが
このエンディングも、
4人全員消えるカットは後から変化が見られるかもね。
俺は6話までの時点では
3人が実在していて、ゆきが幻覚。ゾンビ化しているのは現実。
という説が有力と思っていたけど、少し揺らいだような気がする。
この回を見ていて思ったのは
全員実在していて、3人が狂っている。ゆきは介護者になる目的で道化を演じている。
ゾンビ化しているのは幻想で全く違う世界が現実。
これもあり得るかなってこと。
さすがに4人のうちだれかがすでにゾンビっていうのはないよな。
設定破綻しすぎている。
全員ゾンビというのはありえなくはないが、これだと制服の色が違う意味を失う。
やはり3人とゆきは決定的に何かが違わないとおかしいのだ。
この回はあまり手がかりがなかったので、面白くはなかった。
ゆきは額面どおりの池沼じゃないことは薄々気づかれてきたんだろうけど、
それを察したとしてもこのキャラは少しかったるいのは変わらないねw
ガッチャマンを考察のために2周見ないのと同じように、
このアニメも抵抗があるというか、受け止めきれない部分が多いな。
これがまだ続くようなら
もうどうでもいいから誰か早くネタバレしてくれよ、と思ってしまう。
そろそろゾワっとする場面が欲しいところだ。
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