干物妹!うまるちゃん第12話(完)
2015年9月24日 2015年夏アニメ
「うまるときりえ、どっちが可愛いかは究極」
ゆゆ式のときにも思ったけど、
敢えて最終回っぽくせずに普通に終わるのはすごく好き。
それでも海老名きりえの関係はちゃんと最後に少し触れるあたりは
ちゃんとツボを押さえているね。
このアニメのKAWAIIを形成してる根本的なジャンルは
「浮きがちな子が居場所を見つけて楽しそうにしてる」
みたいなところにある。
(わかりやすく言えばけいおんのムギ、ガルパンの秋山殿、
マニアックに言えばノブナガンが面白かった原理と同じ)
うまるは、完璧すぎて踏み込んだ友達が全然できないこと。
海老名さんは、田舎コンプレックスで自分に自信がないこと。
きりえは、性格を誤解されて怖がられていること。
シルフィンだけはちょっとわかりにくかったけど、
この子は「手法を知らない」お兄ちゃんッ子なのだ。
画像2枚目のこのシーンこそ、シルフィンの言動の原点のような気がします。
(これは4話で「目立ちたがりってわけじゃない」と
うまるだけは理解してあげれてるところがすごく良かった。)
4人ともメチャクチャいい子で、ほっこりする。
なんかそういう作品の性質上、エンディングの止め絵は
どのカットも楽しそうですごく好きだったんだけど…
その海の回を最終回にもってくるとは、なかなかやるな。
特にうまるやきりえは平素からそういうコンプレックスを感じることが多かったせいか
笑ってるシーンが非常に可愛かった。
きりえは、師匠がいないことを少し残念そうにしていたけど…
うまるの正体については、これは作品上
「一番大事な相関図」というか、
どこまでならバレていいかは絶対的な線引きが必要なもの。
俺の見解だと、このアニメの作品像では
シルフィン相手には、「絶対にバレたらダメ」
(文学少女とヒデノリに通じる「無理やり吸い込まれるお笑い空間」的なものがあるな。
別にそれを壊す必然性がないうえに、
シルフィン側がリアクションがとれない子なのでここは絶対にダメ)
きりえ相手には、「どちらともいえない」
(これは外うまるときりえも仲がいいので、どちらともいえない。
こぼしたクッキーを拾って食べるエピソードがすごく好きだった。
残念そうなきりえちゃんを見かねて言おうとしたけど…←ちょうどいい)
海老名さん相手には、「バレてもいい」
(海老名さんは自分にないものを持ってる存在としてうまるを見ているが…
海老名さんは気にしないので問題ない。「へー」くらいのリアクションでは?
むしろ海老名さんの面白い要素は、正体がバレたほうが引き出せそう。)
この回で機会があったのは、ちょうど真ん中。
うまるがきりえに正体を明かすかどうかっていう一番微妙なところだった!
うまるにとって、
「こまる」状態で友達と遊べることは得がたいこと。
きりえにとっても、
かわいいもの、気兼ねなく話せる年下は得がたい友人。
うまるは察しがいい子なので、
きりえがしょぼくれてるのは気づいていただろうけど
自分のウソでそうなってる背徳感と、話したあとも前みたいに遊べるか不安なところと
ちょっと色々考えちゃったんだろうね…
「前も言ったけど、いつも妹と遊んでくれて本当にありがとう」
「いや、具合が悪くて来れない訳じゃないんなら良かった」
いや、ここのシーンはすごくいい。
ふたりとも良い子すぎ可愛すぎワロタ
最初は兄貴を困らせるだけのワガママ妹、たまにいい子みたいなのを予感したけど
それは完全に1話だけだったように思います。
うまるは言動はバカだけど、相手のことを本当によく見ている。
むしろ、うまるのほうがタイヘイより鋭く相手のことを察するよね。
最後にうまるから兄貴へのフォローみたいなオチもたくさんあった。
まあ、この作品がどう良いかは毎週語りすぎたほど語ったので
もういいでしょう。
近年稀なほど作品愛のあったスタッフ、
アニメだけでも原作の雰囲気や約束事が想像できちゃうくらいの深さだった。
これは絶対スタッフインタビューを見に行くよ。
ゆゆ式のときにも思ったけど、
敢えて最終回っぽくせずに普通に終わるのはすごく好き。
それでも海老名きりえの関係はちゃんと最後に少し触れるあたりは
ちゃんとツボを押さえているね。
このアニメのKAWAIIを形成してる根本的なジャンルは
「浮きがちな子が居場所を見つけて楽しそうにしてる」
みたいなところにある。
(わかりやすく言えばけいおんのムギ、ガルパンの秋山殿、
マニアックに言えばノブナガンが面白かった原理と同じ)
うまるは、完璧すぎて踏み込んだ友達が全然できないこと。
海老名さんは、田舎コンプレックスで自分に自信がないこと。
きりえは、性格を誤解されて怖がられていること。
シルフィンだけはちょっとわかりにくかったけど、
この子は「手法を知らない」お兄ちゃんッ子なのだ。
画像2枚目のこのシーンこそ、シルフィンの言動の原点のような気がします。
(これは4話で「目立ちたがりってわけじゃない」と
うまるだけは理解してあげれてるところがすごく良かった。)
4人ともメチャクチャいい子で、ほっこりする。
なんかそういう作品の性質上、エンディングの止め絵は
どのカットも楽しそうですごく好きだったんだけど…
その海の回を最終回にもってくるとは、なかなかやるな。
特にうまるやきりえは平素からそういうコンプレックスを感じることが多かったせいか
笑ってるシーンが非常に可愛かった。
きりえは、師匠がいないことを少し残念そうにしていたけど…
うまるの正体については、これは作品上
「一番大事な相関図」というか、
どこまでならバレていいかは絶対的な線引きが必要なもの。
俺の見解だと、このアニメの作品像では
シルフィン相手には、「絶対にバレたらダメ」
(文学少女とヒデノリに通じる「無理やり吸い込まれるお笑い空間」的なものがあるな。
別にそれを壊す必然性がないうえに、
シルフィン側がリアクションがとれない子なのでここは絶対にダメ)
きりえ相手には、「どちらともいえない」
(これは外うまるときりえも仲がいいので、どちらともいえない。
こぼしたクッキーを拾って食べるエピソードがすごく好きだった。
残念そうなきりえちゃんを見かねて言おうとしたけど…←ちょうどいい)
海老名さん相手には、「バレてもいい」
(海老名さんは自分にないものを持ってる存在としてうまるを見ているが…
海老名さんは気にしないので問題ない。「へー」くらいのリアクションでは?
むしろ海老名さんの面白い要素は、正体がバレたほうが引き出せそう。)
この回で機会があったのは、ちょうど真ん中。
うまるがきりえに正体を明かすかどうかっていう一番微妙なところだった!
うまるにとって、
「こまる」状態で友達と遊べることは得がたいこと。
きりえにとっても、
かわいいもの、気兼ねなく話せる年下は得がたい友人。
うまるは察しがいい子なので、
きりえがしょぼくれてるのは気づいていただろうけど
自分のウソでそうなってる背徳感と、話したあとも前みたいに遊べるか不安なところと
ちょっと色々考えちゃったんだろうね…
「前も言ったけど、いつも妹と遊んでくれて本当にありがとう」
「いや、具合が悪くて来れない訳じゃないんなら良かった」
いや、ここのシーンはすごくいい。
ふたりとも良い子すぎ可愛すぎワロタ
最初は兄貴を困らせるだけのワガママ妹、たまにいい子みたいなのを予感したけど
それは完全に1話だけだったように思います。
うまるは言動はバカだけど、相手のことを本当によく見ている。
むしろ、うまるのほうがタイヘイより鋭く相手のことを察するよね。
最後にうまるから兄貴へのフォローみたいなオチもたくさんあった。
まあ、この作品がどう良いかは毎週語りすぎたほど語ったので
もういいでしょう。
近年稀なほど作品愛のあったスタッフ、
アニメだけでも原作の雰囲気や約束事が想像できちゃうくらいの深さだった。
これは絶対スタッフインタビューを見に行くよ。
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